2009年4月号

clip_image002幸いなるかな、アレルヤ!

私たちの平和である復活されたキリストにおいて、御復活祭をお祝い申し上げます! 私たちの歴史における4月16日

クレメンス12世の勅書-永遠の記念の内に

「聖フランシスコの小さき兄弟会(オブセルヴァンテスとも呼ばれた)の総長代理を務める愛すべきエボラのジュゼッペ・マリアは、修道会のすべての修道院の兄弟たちが、如何にあらゆる方法を尽くして4月16日に誓願を新たにしていたかを説明しました。4月16日とは会の創立者であるアシジの聖フランシスコが仲間たちと共に、私たちの幸いな記念の先達イノセント三世の手の中に同じ誓願を立てた日の事です。それ故、こうした信心深い行ないが魂の救済に大きく実を結ぶために、また兄弟たちの献身を高めるために、天上の教会の宝庫から恵みの愛を受けつつ、私たちは主の慈しみによって兄弟たちに-すなわち心から悔い改め告白し4月16日に聖体を拝領してどのような方法でも誓願を更新し、神にキリスト教の諸侯たちの一致と異端の根絶、聖なる母である教会の賛美の祈りを捧げる現在と未来の本会のすべての修道院の一人ひとりのすべての兄弟たちに、現在と未来の罪の赦しと全免償を与えます。

それ故私たちは皆様に、『transunti』すなわち本書状の荘厳な写しに公証人の自筆署名と高位聖職者の証印を印したものに対して、本書状が当人の眼前に示された場合と全く同じ信仰を表明するよう、お願いするものであります。

ローマ聖母大聖堂にて教皇の認印付指輪の下に。教皇クレメンス12世在位第5年の1735年3月30日」。オリヴィエリ枢機卿。

フランシスカン殉教者暦

「世界中に広がった熾天使的家族にとって本日4月16日は、1209年聖なる師父フランシスコが教会の支援のために教皇インノセント三世の手の中に会則の誓願を立てて、小さき兄弟会を始めた尊い荘厳記念の日です。この幸いな出発の記念として、この日に会員一人一人が心からの熱情をもって、共同でも個人でも、またフランシスカン男女修道会のそれぞれの修道院でも、誓願を更新する事が定められました。そして誓願を更新した者全員に、教皇クレメンス12世による全免償が与えられます(1939年版「フランシスカン殉教者暦」143頁)。

1959年4月16日

本会の創立800周年(1209-2009)記念祭が近づき、それは総本部の最年長兄弟である兄弟フランチェスコ・アントネッリにとって、1959年の本会創立750周年記念祭に関連した幾つかのエピソードを回想する機会となりました。当時の通例としてこうした重要な日を荘厳に記念するために、総本部別館の「取りなしの聖マリア」教会の立つジェルソミノ(ジャスミン)の丘で、在世フランシスコ会々員である教皇ヨハネ23世の臨席が発表されました。ローマ市長はこうした時節を考慮して、教皇と同じ名の当時まだ泥道だった道路を舗装するよう命じました。工事の進行に従って運悪くアーチ門が車の通行には狭すぎるという事で、道路の開通と同時に取り壊されました。

トビアという名の老人がいました。彼はこのアーチ門に程近い質素な小さな家に住み、子供の時からずっと、アーチ門の頂きのテラコッタの聖母子像を見慣れてきました。最初は取り壊しという冒瀆的行為に不服を唱えていましたが、後から教皇は結局総本部にはみえず、ラテラノの聖ヨハネ大聖堂で修道会創立750周年の荘厳祭儀を行なうという事を知って、激怒しました。正直に言えば、失望が全体を覆うようでした-アーチ門の取り壊し、聖マリアの都(建築)の消失、そして教皇の予定変更・・・。総本部の兄弟たちにさえも落胆の色がみえました。けれどもその後、教皇ヨハネ23世が記念講話の際に大きく慈父らしい声で「Ego sum Joseph frater vester(私は皆様の兄弟ヨゼフであります)」という言葉で話を始められ、自身が1895年3月1日ベルガモ神学校で在世フランシスコ会々員として14歳で誓約を立てた事や、ロンバルディア管区のボッカネッロ修道院の小さき兄弟たちの思い出を喜びと共に偲ばれた時、兄弟たちは喜びに包まれました。福者教皇ヨハネ23世の1959年4月16日の記念講話は、今もアクセス可能です。

800周年記念祭に向けて800キロ歩く-ローマ

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聖フランシスコを熱愛するスロヴェニアのヴィド・クレガーとミハ・リボフセックは、偉大なフランシスカンの記念祭をユニークなイニシアティブで祝いたいと考えました。それはスロヴェニアのコペルの聖アンナ修道院(フランシスカンが780年間存在してる)からローマの小さき兄弟会総本部までの800キロを、徒歩で踏破する事です。二人は2009年2月14日にこの巡礼を開始し、特にラ・ヴェルナの聖所やモンテカザレ、グッビオ、アシジ、ポッジオ・ブストーネ、グレッチオ、フォンテコロンボ、フォレスタを訪ねた後、同年3月5日無事に全旅程を終えました。そして総長に大きな兄弟愛と共に迎えられ、本会の記念の年に示されたこの骨身を惜しまぬ振る舞いを感謝されました。それは私たちのただ一つの道である、キリストの足跡に従って天に向かう巡礼者としての共通の召命を、皆に思い起こさせる振る舞いでした。

フランシスカン全家族による本会創立800周年記念祭-マドリッド

スペインのフランシスカン家族は2009年2月15日マドリッドで一堂に会して、フランシスコ会創立800周年を祝いました。小さき兄弟会総長の兄弟ホセ・ロドリゲス・カルバッリョが、カプチン会総長でコンヴェンツァル会と律修第三会とアミゴニアン・カプチン第三会の代表を務める兄弟マウロ・ホーリに補佐されて荘厳な聖体祭儀を司式しました。大司教区代表や地区の総長代理、奉献生活の司教総代理を始め、50人を超える共同執行司祭が参加しました。他に白い十字架のフランシスコ会の総会長である兄弟ミゲル・ロペス・ナカリノや、SFO総長のエンカルニタ・デル・ポゾ氏、様々のフランシスカン修道会の多くの修道者、SFOの非常に多数の兄弟姉妹たちが聖体祭儀を補佐しました。祭儀の終りに、聖フランシスコの「全キリスト者への手紙」のプリントが出席者全員に配布されました。

第二回ラテンアメリカ・エキュメニカルと諸宗教間対話のセミナー

-ボゴタ(コロンビア)

第二回ラテンアメリカ・エキュメニカルと諸宗教間対話セミナーが2009年2月16日から21日まで、コロンビアのボゴタにある聖ボナヴェントゥラ大学で開かれました。参加者は小さき兄弟102人、フランシスカン家族30人、教授及び研究者28人、ペンテコステ教会信者29人、正教会信者1人、そして神学生20人でした。

「ラテンアメリカにおけるペンテコステ派と新ペンテコステ派に対するフランシスカンの注目」というテーマが、グループディスカッションや集会、祈りの時間、対話の体験の分かち合いを通して展開されました。セミナーの終わりにあたり、集会の承認を得て簡潔な最終文書が出されました。最終文書は可能な対話の方法の具体化と、福音宣教の分野での活動指針を示唆しています。

数字に見るOFM共同体

2008年12月31日現在、小さき兄弟たちの数は14,724人(前年比306人減)です。その内訳は以下のとおりです:志願者597人(公式集計には含まれない)、修練者395人、有期誓願宣立者1513人、荘厳誓願宣立者12816人(司祭10017人、終身助祭87人、神学生465人、ブラザーの兄弟2140人)、枢機卿7人、大司教/司教100人、年間に帰天した兄弟319人。

小さき兄弟たちは世界中の110カ国に散らばっています。アフリカと中東に1081人(前年比-7人)、ラテンアメリカ3530人(-79)、中央アメリカ1554人(-62)、アジア・オセアニア1305人(+4)、西ヨーロッパ4769人(-148)、東ヨーロッパ2485人(-14)。普遍の共同体は管区が103、自治分管区8、従属分管区14、連合1、宣教地区20、管区長協議会14、協議会連合3(アジア/オセアニア:FCAO、ラテンアメリカ:UCLAF、ヨーロッパ:UFME)で構成されています。

「数がすべてではありません。私たちの力は戦車や馬にあるのではなく、主にあります。未来は何よりも私たちの生活の福音的な質に基づいていると、私たちは確信します。それでも同時に、数にも注意を払わなければなりません。これは聖福音の緊急の要請です。それは誰であれ近い将来の計画を考えたいと思う者みなの、現実的な見取り図なのです」(2009年総集会に向けた総長報告、p291)。

フランシスカン新刊の栞

*ピエトロ・メッサ著「隠遁生活と説教の間。アシジのフランシスコとその共同体の旅路」(原題Tra vita eremitica e predicazione. Il percorso di Francesco d’Assisi e della sua fraternità )。ポルツィウンクラ出版、アシジ、2009年。全176頁。

clip_image006もしアシジの兄弟フランシスコの生活が隠遁所と町で、すなわち祈りと説教の間で交互に行なわれていたら、彼の帰天後こうした二つの要素はいっそう分極化し、どちらか一方に極端化していったでしょう。一部の兄弟たちは完全に説教に没頭し、その結果として、より広いスペースや大きな教会や、適切な図書室に保管された十分な書物の備わった修道院での勉学や、各人が自由にその職務を実行できる領域の探求などが必要となったでしょう。反対に、隠遁所にこもるのを選んだ兄弟たちは、観想だけに専念する生活を送ったでしょう。それぞれが聖フランシスコの生活に訴え、自身の生活様式の選択の正しさを確証する「アシジの人の生活記」を語りあるいは書き記す事によって、その選択を正当化しようとしたでしょう。聖フランシスコの仲間の一部にも、例えば福者アシジのエジディオのように同様の事が起こりました。これらのすべての事は、隠遁生活と説教生活との間の選択が「フランシスコ以後」の正念場の一つであった事を私たちに示しています。そして二つの生活の仕方からその統合をも含めて一つを選ぶ事は、一つの旅路が異なる結末を迎える指標となるでしょう。

*モビーン・シャヒドとフランシスコ・アルフィエリ共著監修「エディット・シュタインの知的旅路」(原題Il percorso intellettuale di Edith Stein)。ジュゼッペ・ラテルツァ出版、バリ、2009年。全368頁。

ここに収められた評論は、詳細かつ綿密な方法でエディット・シュテインの様clip_image008々な側面を展開しています。師フッサールの指導の下での哲学・現象学の形成、彼女自身の哲学史の解釈の仕方とその神学との対比(特に中世思想について)、社会的文化的関心の広大さ、そして最後にカルメル会の偉大な神秘主義者との関わりが取り上げられています。著者は大きな喜びをもってその全体を紹介しています。なぜならそれはおおむね人間的で知的な一つの共同体の作業に等しく、エディット・シュタインが思索に関心を抱き始めた遠い日を起点として、時の経過と共に彼女の姿の周りにその全容が浮かび上がってくるからです。彼女の著書の翻訳と評釈とを通して、ドイツ現象学の著作物の研究で群を抜く一つの小さな「学派」が現れ出てきます。研究に情熱と歴史学・神学の能力とを傾けてうち込んだ様々の著作家たちがそのテクストと共に、ここにつどっているのです。

お知らせ-世界のあちこちから

SFO/ユー・フラの補佐向けの養成講座-クロアチア

第三回クロアチアSFO/フランシスカン・ユース(以下ユー・フラ)の霊的補佐向けの養成講座が、2009年2月17日から19日までスプリトの小さき兄弟修道院で開かれ、60人の霊的補佐と、SFOとユー・フラのメンバーが若干数参加しました。講座の主なテーマは「SFO/ユー・フラの地区補佐。その任務と霊的・司牧的責任」でした。SFO・ユー・フラへの総補佐の兄弟イヴァン・マティッチOFMが出席して、「各地の在世会責任者(会長):霊的補佐と各地の在世会責任者の関係と協働」というレポートを発表しました。講座はクロアチア全国補佐協議会が主催しました。

第7回グレッチオ会議

小さき兄弟会の会則認可800周年にあたって、2009年5月8日から9日まで第7回グレッチオ会議が開かれます。会議はフランシスカン・ムーブメントに最重要のテーマ、すなわち「労働」について考察します。創立の当初から、フランシスカンはアシジのフランシスコの決定的な指示に従って、司牧の仕事を形づくってきました。それは然るべく習得した技を生かして忠実に働く事でした。会議の目的は、この初期の規定(i.e.未裁可会則第7章と裁可会則第5章)から明らかになる歴史と主題とを理解する事です。そして選択と必要性、経済界と生産性、ルーティン的反復性と創造性との間におけるその同時代的な有効性を評価する事です。もちろんその時、賜物と被造物世界の世話との間でフランシスコ会の奉仕者である事の「恵み」の次元からもたらされる全体的有意義さを、忘れてはなりません。