2009年5月(特集号)

国際幕屋の集会-特集号-

歴史的なイベント

clip_image002

小さき兄弟会第一会並びにコンヴェンツァル会、カプチン会、律修第三会は、2009年4月15日から18日まで国際幕屋の集会を開催しました。それは1221年におよそ5,000人の兄弟たちが集まって天使の聖母聖堂で行なわれたあの第一回総集会をふまえたものです。1221年当時の稀有の熱烈さには及ばずとも、私たちの国際幕屋の集会は常に歴史的イベントであり続けるでしょう。

*参加者:35,000人のフランシスカンのうち約2,000人が65カ国からこのイベントに参加しました。それに加えてフランシスコとクララに霊感を与えられた男女修道会代表者やSFO/フランシスカン・ユースの代表者、他のキリスト教教派のフランシスカンたちも参加しました。

*動機:本年私たちは修道会創立800周年を祝います。800年前の1209年春にフランシスコと最初の仲間たちが聖福音に基づく生き方の認可を願ってインノセント三世のもとに赴き、聖人が後にそれをわずかな言葉で単純に書き記させて以来、実に800年の時がたちました。

clip_image004*目的:2008年復活祭に出された招集状において、フランシスカン家族協議会の総長たちは記念祭の意義を再確認しました。それは私たちのカリスマに対する忠実を新たにして、創立者の霊的遺産のすべてをもう一度とらえ直す事、そして私たち各人が、現代の突きつける多くの挑戦に対して日々の生活の中で具体的に創造的に応えていく事により、刷新された献身と新しいエネルギーと、キリスト者の希望へ開かれた心とをもって、それを実行していくという事でした。さらに総長たちは国際幕屋の集会を「第一日は真の交わりと歓迎の時、第二日目は個人的な証しの時、第三日目は悔い改めと断食の時、そして最後の第四日目は感謝の時であるように」と指示しました。

そして招集状の結びにこう述べました:「集会の期間中アシジの教会の客人として、私たちは遵守を約束した会則について内省し、回心への望みを具体的な振る舞いによって表します。そして特にこの歴史的体験を、『主である教皇』への従順を新たにし、教皇から世界中を巡って回心を説くようにとの命令を受ける事によって終了したいと考えます」。そのためこうした振る舞いが、最初の三日間には歓迎の心と証し、悔い改め、断食を通して、そして最終日の4月18日にはカステル・ガンドルフォに滞在中の教皇への感謝を通して表されました。

clip_image006

歓迎

開会式は「大テント」(130m×15m)の下で、福音書と聖フランシスコの会則の奉戴をもって始まりました。交代制で今回フランシスカン家族協議会議長を務める現総長の兄弟ホセ・ロドリゲス・カルバッリョが、まずクララ会パガニカ修道院(ごく最近アブルッゾの地震で損壊)とテゼ院長の兄弟アロイスからのメッセージを読み上げた後、会場の出席者に次のような歓迎の挨拶を述べました:「フランシスカン家族がすべての始まった地であるアシジのポルチウンクラの前に共に集い、聖フランシスコが教会に残したカリスマの偉大な賜物を神に感謝するのは、実に歴史上初めての事です」。

そしてこのイベントを主催したイタリア・フランシスカン家族の管区長連合協議会議長を務める兄弟アルド・ブロッカトOFMCapの挨拶を受けた後、教皇庁付説教師の兄弟ラニエロ・カンタラメッサOFMCapの内省と共に集会が始まりました。同兄弟は以下のように述べました:「この2009年に私たちはフランシスカン・カリスマの湧き出たまさしくその場所において、その最も純粋な状態に立ち帰る又とない機会を与えられています。これは修道会全体とフランシスカン運動にとって、空しく見過ごす事のできない『カイロス』(出会い)です」。

第一日の午後の過程は、ポルチウンクラの聖堂で行なわれたアシジ司教モンシニョール・ドメニコ・ソレンティーノ司式による聖体祭儀をもって終了しました。司教は説教の中で、アシジのフランシスコとその最初の仲間の持っていた宣教の推進力を取り戻すために、現代の文化的文脈を組み込んでそれと対話する事の必要性を強調しました。

証し

clip_image0084月16日木曜日は終日、世界中に散らばっているフランシスカンたちの「証し」に専念しました。RAI(イタリア・ラジオテレビ放送)所属記者のフランチェスコ・ジョルジーノ氏が熟練した進行役を務め、三人の総長前任者すなわちカナダのネルソン司教モンシニョール・ジョン・コリヴォOFMCap.、兄弟ジャコモ・ビニOFM、奉献・使徒的生活会省書記の兄弟ジャンフランコ・アゴスティノ・ガルディンOFMConv.の個人的な証しの発表によって午前の部が始まりました。以下は上記各人の言葉です:

clip_image010*モンシニョール・J・コリヴォ:「主は私に兄弟たちを与えて下さった」。弟子の足を洗う主の姿ほどに、フランシスコを大きな熱情で満たすイエスの姿はありません。彼はそれを自身の共同体への権威と奉仕の模範として取り入れ、こう語りました;「他の人々の上に立てられた者は、兄弟の足を洗う務めに任命されたのと同じ程度に、自分の職務を誇るべきです。目上の務めが取り上げられた時、足を洗う務めを失った以上に心を乱せば乱すほど、ますます大きい「金入れ」を自分のために準備しており、魂を危険にさらしています」。

*兄弟ジャコモ・ビニ:「主はあなたがたを全世界にお遣わしになった。あなたがたが言葉と生活によって主の声の証しができるように」。生活の成長と発展によって、いかなるタイプの組織も変化を免れません。それ故私たちが心をしっかりと主に向けて変化する事は、生活のしるしであり、今も途上にある旅のしるしであり、歴史に忠実である事のしるしです。・・・内面が堅固である者は、変化を受け入れる事に困難がありません。・・・私たちの価値がより明確に、より強くなればなるほど、私たちはなおいっそう福音化及び現代の人々との出会いの新しい形を創り出します。・・・福音宣教と宣教者精神の刷新のように重要不可欠の内なる創造力は、神と歴史と教会と本修道会と、聖フランシスコの直観に対する刷新された忠実の表れです。

*モンシニョール・A・ガルディン:「あなたがたの上長と、聖なる母である教会のすべての聖職者に、常に忠実かつ従順でありなさい」。私には忠実という概念が従順の意味を照らし出すように思えます。従順はそれが聖福音に対する忠実の表れであり、聖福音への恭順を有効にするが故に意味を成します。フランシスコはそれを理解していました。なぜなら彼にとって聖福音を生きる事はキリスト者である事の鍵であり、最終目的だったからです。もう一度、私は忠実が単に形式的で受け身的な従順を指すものではないと言わなければなりません。フランシスコは従順が上長によって示される神のみ旨の仲介の道をゆき、それを越えていく事、そして仲介を超えて神のもとに到達し、放棄不可能な聖福音の本質的要求にまでたどり着くものである事をよく知っていました。

clip_image012

午後には簡潔なビデオ上映を通して様々の体験が分かち合われました。アマゾニアの宣教者の兄弟パウロ・ザヴィエルOFMCap.は「諸国の民の中での宣教」について述べ、米国で大学講師を務める顧問の兄弟マーク・マクブライドTORは教育分野での奉仕について語りました。またパドゥアの「聖アントニオの使者」所長の兄弟ダニロ・サレッツェOFMConv.はコミュニケーション手段を重点的に取り上げ、SFO会長のエンカルナシオン・デル・ポゾ氏は三千年期におけるフランシスカン信者について発表しました。聖地特別分管区長の兄弟ピエルバッティスタ・ピッツァバラOFMは諸宗教間対話について語りました。

その後ポルチウンクラの天使の聖母聖堂で奉献・使徒的生活会省長官のフラン・ロデ枢機卿の司式による聖体祭儀が行なわれ、証しの日が締め括られました。枢機卿は説教の中で次のように述べました:「皆様は預言者フランシスコの子です。彼はアブラハムのように、自身をひたすら神にのみclip_image014委ねて行く先も知らないまま旅立ち、常に内なる回心の旅に出る用意ができていました。そしてついにはイエスが私たちのために得て下さった自由に到達する事ができました。皆様が主に祝福され、ゆるされ、溢れるばかりのみ恵みに満たされていると感じる事ができるようにと、聖霊が恵みの家であり皆様全員の生まれた地であるここポルチウンクラに、皆様を導いて下さいました。ここで皆様は、新しい生活を始めるために神の愛に回心し、進んで神の愛に自身を委ねる事ができるでしょう。そして今、個人と共同体の両方のレベルで信仰と召命の貴い真珠を再発見し、落胆や信仰に対する大小様々の妥協が原因となってその輝きを曇らせるうろこを取り除き清めるために、ここに招かれているのです」。

断食と巡礼

4月17日金曜日は断食の日であり「荒れ野に出る日」、そして聖フランシスコの墓所への巡礼の日でした。イタリア「フォリニョの聖ルチア」修道院長の姉妹アンジェラ・エマニュエラが聖クララ聖堂で内省をした後、議員たちは聖ダミアノの十字架の前で祈りを捧げ、天使の聖母聖堂やリヴォトルト、聖フランシスコ聖堂と聖クララ聖堂、聖ダミアノ教会、聖ルフィノ教会、カルチェリの隠遁所等、アシジの最も意義深い場所を訪ねて自身の荒れ野の体験に出て行きました。

兄弟たちは午後3時に再びポルチウンクラに集まり、総長たちの先導で聖フランシスコの墓所まで、全員が行列を組んで沈黙の内に歩きました。そしてそこで遵守を約束した新しい会則を与えられました。

その後、下部聖堂広場で聖職者省長官のクラウディオ・フンメス枢機卿OFMが荘厳な聖体祭儀を司式しました。その説教ではフランシスカン・カリスマについて「刷新」、「使徒的宣教者精神」、「清貧と貧しい人々とに対する愛」、「フランシスカン共同体」、「教会との交わり」の4点が重点的に取り上げられました。

「主である教皇」に拝謁-ローマ

2009年国際幕屋の集会は4月18日、三つの意義深い出会いをもって終幕を迎えました。

clip_image0161.復活された方との出会い:カステル・ガンドルフォ内「マリアポリ・センター」での聖体祭儀において。

聖体祭儀は兄弟ホセ・R・カルバッリョの司式によって行なわれました。兄弟ホセは説教の中で、この集会の内省のために4つの動詞を示しました。それは「見る、行く、走る、喜ぶ」でした。

2.「主である教皇」との出会い:カステル・ガンドルフォの教皇邸中庭において。

兄弟ホセ・カルバッリョOFMはフランシスカン家族協議会の交代制議長として全フランシスカン家族を代表して、教皇ベネディクト16世に次のように挨拶の言葉を述べました:「教皇聖下、本日全フランシスカン家族が聖下のもとに集い、教会において教会と共に小さき兄弟会創立800周年記念を祝い、また聖フランシスコが私たちに残したカリスマの賜物を祝う事は、誠に心からの喜びです。教皇聖下、私たちはこの事を確信して、丁度フランシスコと最初の仲間たちがそうしたようにアシジを立ち聖下のもとに参りました。私たちの会則にあるとおり、「私たちが常に聖なる教会の足下に臣下としてとどまり、カトリックの信仰を堅持し、固く約束したとおり、私たちの主イエス・キリストの清貧と謙遜と聖福音を守る」(裁可会則12,4)事ができるよう、聖下が再びこの聖なる生活様式を承認して下さいますようお願い申し上げます」。

clip_image018 ベネディクト16世は謁見の参列者を始め世界中の全ての男女フランシスカンに語りかけ、フランシスコの極めて重要な体験に思いを致しつつ以下のように応えられました:「フランシスコの回心から全ては始まりました。彼はイエスの模範にならって『すべてを放棄し』、貴婦人清貧の浄配となって、天におられる御父の証人と先触れになりました。兄弟姉妹の皆様、常に観想的で単純で喜びある心を持ち続けて下さい。フランシスコが聖ダミアノの十字架への崇敬とハンセン病者との出会いによって霊感を受けたように、皆様も苦しむ人々の中にキリストの御顔を見て彼らに主の平和をもたらす事のできるよう、常にキリストから霊感を受けて下さい。そしてどうぞ神の『美』の証し人となって下さい。フランシスコは被造物のすばらしさを観想してその美を歌う事を知っていました。それは全能の御方に対する『あなたは美』という感嘆をもたらしました」。

それから教皇は次のように話を結ばれました:「お越し下さって有難う。では、行ってすべての人に救い主キリストの平和と愛を届けなさい。『教会となったおとめ』、無原罪の聖母マリアが皆様と共にありますように!そしてここに参列された方々とすべてのフランシスカン家族に私が心から与える使徒的祝福によって、皆様が強められますように!」。

clip_image020教皇のスピーチの後、三人の総長はひざまずき、世界中に散らばっている兄弟たちを代表して、聖フランシスコの会則に従って生きるという約束を更新しました。最後にフランシスカン家族協議会は教皇に、フィレンツェの聖十字架聖堂の革製品学校作製の革装「フランシスカン源泉資料集」を献呈しました。

3.イタリア共和国大統領ジョルジョ・ナポリターノ氏との出会い:カステル・ポルツィアノにおいて。

総長たちを団長とする代表団は最後にイタリアの国家元首を訪問しました。兄弟ホセ・R・カルバッリョは大統領に以下のような挨拶の言葉を述べました:「この小さき人(フランシスコ)は聖福音だけを携えて、たゆまずイタリアやヨーロッパの地を歩いて渡り、はるばる聖地にまでも行きました。自分を最も貧しい者、社会の隅に追いやられた者のようにして、彼らのただ中に彼らと連帯して生きたいと願いました。なぜなら主イエス・キリストがそのように生きたからです」。

大統領はそれに応えて次のように述べました:「皆様方はこんにち世界中の至るところにおられます。そしてその数の多少にかかわらず、信仰の種子とフランシスカン的価値の証しをもたらしています」。そしてさらに以下のように続けました:「私たちは皆様方の存在と、働きと、我が国に絶えず刷新され広められるべき価値をもたらすための取り組みとを、必要としています」。

こうした言葉の後、総長は聖フランシスコの書き記した「民の支配者への手紙」の写しと共にデルタの陶器(ドミツィアーニ製)を大統領に謹呈しました。

結論

clip_image022

国際幕屋の集会は、実にすばらしい喜びと深い感動に満ちた4日間でした。私たちは共にこの歴史的な日を祝い、共にこの又とない恵みの時を生きました。私たちは一つの普遍のフランシスカン家族としてここに再会し、師父アシジのフランシスコの教えと体験の核心である聖福音を、共に再び私たちの生活の中心に据え直しました。